ワールドエンド
「兄貴?」
呼びかけられて、静雄は振り返った。
手に持っていた花瓶を、そうっと備え付けの棚の上におく
新羅が用意したという病室は、真っ白で、どこか作りものめいていて、何かするのでも、静雄はひどく気を使うのだ。
「どうした、喉でも渇いたか?」
幽はベッドに横になっていた。
枕の上に黒髪がちり、ぱさぱさと音を立てる。
もう何日もそうして寝ているせいで、幽の黒髪は艶を失っていた。
「平気だよ。それよりも、面会時間、平気なの」
「ああ…」
静雄は柔らかく笑う。
「心配すんな。午前中いっぱい、許可もらったからよ」
「そう…」
幽は頷くと、また天井を見上げる。
それが一番楽な体勢であり、そうでもしていなければ、呼吸がすぐにみだれるのだ。
「きてくれるのは、うれしいけど。兄貴も、ちゃんと休むようにしないと、だめだよ」
淡々とつむがれる言葉に、静雄は一瞬なきそうに顔をゆがめ、それからそれを殺すように、首を振った。
静雄が感情を殺す。
それがどんなにか難しい事か、一番理解しているだろう弟は、相変わらず天井をぼんやりとみつめていた。
その頬は痩せ、白く透き通っている。
けれど、その、真っ白な布団の下に隠された肌がどうなっているかは、診療の際に目に焼きついている。
だからこそ、静雄は笑うのだ。
「ばぁか。俺の心配なんかしなくていい」
いいながら、静雄は幽に近づいて、その視界を覗き込む。
「お前は、自分の体のことだけ考えてろ」
「兄貴」
「俺がどんだけ頑丈にできてるか、おまえが一番よくしってるだろ?」
幽はじっと静雄の顔を見た。
「して欲しい事は、なんでもいえ。世界で二人きりの兄弟だろ。遠慮なんかすんなよ」
そう、二人きりの兄弟。
…二人きりの肉親だった。
父も母も、先日他界した。
葬式も出す暇がなかった。
出しても、きっと誰もこなかっただろうし、幽も参列できなかったに違いない。
幽もまた、父母と同じ病気で倒れていたからだ。
二人の死体は、静雄が政府指定の火葬場に連れて行った。
「兄貴」
ふいに幽が静雄をよんだ。
目が、まっすぐに静雄を見上げている。
「大丈夫だよ」
「ん?」
「毎日薬も飲んでるし、進行もちょっと遅くなってるって、新羅さんがいってた。確かに副作用はきついけど…耐えられないほどじゃない」
幽は、淡々といった。
「大丈夫だよ、俺は、まだまだ、しなない」
「……たり、まえだろうが」
ぐ、っと静雄は唇をかんだ。
なさけない。
何より辛いのは、幽のはずだった。
(なのに、俺が励まされて、どうする)
静雄の顔を見て、幽はわずかに笑った。
苦笑だと、静雄にはわかった。
「手でも、握れれば、よかったんだけど」
それはムリなのだ。
たまらなくなって、静雄は白い幽の頬に手を伸ばそうとした。
けれど、
「……」
指先を握りこみ、諦める。
幽は今、どんなことで『砕けて』しまうかわからないのだ。
静雄のようなバカ力が、触れれば、いつ何時そうなるかわからない。
触れるのが、怖かった。
まっすぐ見つめてくる幽の視線に耐え切れず、目を伏せると、―――白い病人服から覗いた、幽の肩が見えた。
静雄は、息を止める。
亀の甲羅のように、緑がかった灰色の、石が覗いていた。
そしてそれは、滑らかな人の肩の形をしている。
『石化』
それが、世界に猛威を振るっている、この病の唯一つにして絶対の症状だった。
***
―――ほんのふた月前だった。
アメリカで初めての感染者があらわれたのは。
ほんのふた月で、この感染症は世界の人口を5分の1にまで減らしてしまった。
指先など、体の末端から、緑の斑点が現れはじめ、やがてその部分から石のように固まっていく。
内蔵まで達した石化は体のあらゆる機能を奪い、果ては呼吸すらも奪い、死にいたらしめる。
それならば過去にも例がないわけではなかったが、問題はその病気の進行速度と、感染経路だった。
指先に斑点が現れることにより発症、12時間後に発熱し、またその12時間後には急激に体温が低下する。
それから10日かけて石化は進み、発症から11日経てば、緑のコケが生えたような一体の石像が出来上がる。
「幽君は発症して18日目なのに、まだ両腕と左足一本の石化ですんでいる。これは、結構奇跡的なことだよ」
長い病棟の廊下を歩きながら、新羅は言った。
幽が収容されている場所は、医療研究施設でも特別に隔離されている特別病棟で、5重の滅菌消毒が義務付けられている。
また中に入った際の衣類はその場で処分することとなっていた。
それでも静雄は、幽にあいに行く時は、彼から貰ったバーテン服に近い、黒いパンツと白のカッターシャツを着込んでいる。
そうして着替えるのは、いつもの仕事着、バーテン服だ。
静雄は幽の面会を終え、病棟から出てきたところを新羅につかまった。
「……わるいな、ムリ言って、幽を入れてもらって」
「気にしないで。その分幽君にも君にも、十分なリスクを負ってもらってる。私ができたことなんて、本当に少ないんだ」
新羅は本心からそういった。
新羅にできたことといえば、父の組織に関わるこの病院に、ひとつベッドを確保したことだけだ。
「正直、実験的な治療も多い。副作用できついときもあるだろうに、幽君は全く弱音をはかない。凄いと思うよ」
「……ああ」
静雄は頷いて、足を勧めた。
病院はどこまでも白く、清潔にできている。
嘘くさい消毒液の臭いと、目にしみるような白の王国。
静雄は、そのまま目を窓の外に転じた。
見渡す限り広大なゴーストタウン。
きらめくような青空と、寝静まったような町並みのコントラストは、かえって不気味ですらある。
ここら辺一帯が、一月前には池袋とよばれていた場所だろうか。
信じられない。
「ねぇ」
ふいに新羅に腕をひかれ、静雄はたちどまった。
「今日も、採血にいくの?」
「ああ」
「……」
新羅は目を伏せて、それからゆるく首を振った。
「全ての要求にこたえる必要はないんだよ。したくないことは、拒絶することもできる。君は実験動物じゃないんだ」
新羅の言葉に、静雄は目をしばたいた。
「自分を痛めつけたって、満足するのは自分だけだよ、静雄」
「……」
接触、飛沫、あらゆる感染経路を持つこの感染症に、静雄だけはかからなかった。
それがどういうことなのか、いち早く気づいたのは当の静雄ではなく、新羅と、この研究施設の研究者たちだ。
幽の入院とひきかえに、医療行為への『協力』を持ちかけた森厳は、静雄こそが、この感染症への武器なのだといっていた。
つまり、人類が静雄のように進化するのでも、また仮に静雄に抗体が備わっているのならば、それによってウイルスを殲滅するのでも、静雄という存在は太刀打ちしがたい感染症への、突破口なのだった。
しかしながら、静雄にとってはそんな事はどうでもよかった。
ただ、幽がなおり、そして新羅や、自分の親しい人たちが死んでさえしまわなければ、何がどうなったって、なんだっていいのだ。
静雄は思考を中断すると、新羅から、目を逸らした。
「心配しなくても、体がうごかないようなバカはしない」
「そういう意味じゃなくて…」
「この化け物みたいな体が、幽が治る役に立つって言うんだ。願ったりだろ」
「静雄」
とがめだてするように、新羅に名前を呼ばれたが、静雄は前を向いて、歩き始めてしまう。
前ならば、間をごまかすのに煙草をつけていただろうが、今の静雄は禁煙の身の上だ。
世界がこうも歪んでしまっては、煙草のような嗜好品もなかなか手に入らない。
その背中を見ながら、新羅がため息をついた。
「……まったく、どうしてそうなのかな、君たちは」
含みのあるつぶやきだ。
並んで歩き始めた新羅を、静雄は横目でみやった。
「…セルティは?」
「元気にしてるよ」
新羅はくす、と笑った。
「昨日もあやうく、解剖同意書にサインしかけてたけど。自殺するって脅したら思いとどまってくれたよ。他人に彼女の体を触らせるなんて冗談じゃない」
「あいつらしいな」
「セルティは優しいからね。幽くんが病気なのに何も出来ないのが、相当悲しいみたい。女神のような慈悲深さだよ」
ような、というかそのものなんだけど、と相変わらずの新羅に、静雄は無言だった。
首こそないものの、人の形をしたセルティというもまた、静雄と同じくこの感染症のために、身を削っている。
それがまぎれもない新羅と、そして病身の弟をもつ自分のためであることを、静雄は知っていた。
申し訳ないと、思う。
「君に会いたがってた」
「……」
友人の心優しさが、弟の努力が、ふと痛みとなって静雄の胸をさした。
馴染みがないはずの『痛み』というものに、眉を顰める。
「静雄、そんなに自分を苛めてたら、君がもたないよ」
「……大丈夫だ。頑丈に出来てるからな」
「体の問題じゃない。わかってるだろう」
「……」
ふと、静雄は足を止めた。
窓に手をついて、すぐそばの外を見下ろした。
二階であるここからは、病院を囲う鉄柵のすぐ側がよく見える。
そこには、わずかな人だかりができていて、口々に何かを騒ぎ立てていた。
「……また、集まってるな」
新羅は静雄がわざと話の腰をおったのを察して、眉をしかめたが、静雄が振り返りそうにないのを悟ると、静雄の側に立ち、同じように窓から、外の通りを見下ろす。
そうして、むらがる人の様子を見て、困ったように眉根を寄せた。
「本当だ。また増えたね。…別にワクチンを隠したり、出し惜しみしてるわけじゃないんだけどねぇ」
「…ワクチン?」
「そう。最近でしょ、ああいう人たちが増えたの。前まではただ助けを求めてくる人がいただけだったけど、今あそこにいる彼らは、僕らが自分たちだけ感染症にきくワクチンをうって、ここに篭ってると思ってるらしいよ」
そんなもの、あるならとうに幽は直っている。
静雄は顔をしかめた。
「どこからそんなデマが流れたんだ?」
「さあ?でもまぁ、仕方ないんじゃないかな。少なくとも僕らは殺菌された屋内にいて、衣食住心配することなくここにいられるわけだしね。外にいる彼らからしたら、まだここは安全なんだろう」
その安全が薄氷を踏むようなものでも、自分自身を実験に捧げて得たものでも、彼らからすればこの『病院』の人間達は非難に値する。
外にいる彼らには、選択する権利さえないのである。
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