「……ここのほかの場所って、どうなってんだろうな」
「政府がかろうじて機能してたときは、それぞれ隔離避難所が設けられてたはずだけど、連絡が取れないところがほとんどだね。多分もう、機能してないんじゃないかな?どこも似たような状態だと思うよ」
「……」

新羅はそのままなんでもないことのように続けた。

「試算が出たんだ。後2年もすれば人間はこの世に人っ子一人いなくなるらしいよ」
「へぇ」
「このまま人類は滅亡しちゃうのかもしれないね」
静雄はそれを聞きながら、静まり返った町並みに目をやった。
なるほど、人の世界は、今ゆっくりと死んでいるのか。
「本当は、彼らも迎え入れて上げられればいいんだけど。ムリだろうなぁ。それに、もしかしたら中で治療を受けるほうが、悠にしんどいかもしれないし」
「そう、だな」
人だかりに目をやりながら、静雄はこどものようにすなおにうなづいた。
瞼の裏に、痩せた幽の頬が、白くやけつく。

「反吐が出る」
「……」

眉根を寄せて、口元だけで笑う静雄を、新羅は静かにみつめた。
反吐が出る。
――誰に?などと、とうほど新羅もバカではなかった。
静雄の表情に浮かぶのは、どうみても自責であり、自嘲だったからだ。
以前ならそんな表情をするはずがなかった静雄を、もしかしたら親友のセルティならば癒せるのだろうか、と新羅は思う。
だからこそ、彼はセルティと会おうとしないのかもしれなかった。

一方、新羅の視線に気づいているだろうに、あえて振り向きもせず、静雄はただ考えていた。

―――自分に反吐が出ると思う。

結局他人を犠牲にしてでも、たった一人のこった肉親を選んだ自分を。
だが、それはどうにもならない。
幽を助けるために、この病院の門をくぐった静雄は、そのとき同時に他者をどうしようもなく切り捨てる側の人間にまわったのだ。
それは人道的に恥ずべき事だったし、静雄の感覚をもってしても、それに大きく外れない。
けれど、新羅はいう。

「そこで自己嫌悪したり自傷行為にはしっちゃうところが、全然まだまだだよ静雄」
顔を上げた静雄に、新羅は笑顔をむけた。
「僕も、父さんも、彼らに全然これっぽっちも申し訳ないなんて思わない。そりゃあ、かわいそうだとは思うし、できるなら助けてあげたいけどね。でも、僕は、セルティのほうが大事だもの。彼女は妖精だから、もしかしたら大丈夫かもしれないけれど、人型をしている以上、誰が大丈夫だなんて保証ができる?だから、彼女を守るためならここに篭って縋る人たちを見捨てたって、良心は痛まない。そんな暇があるなら研究するし、それで幸運にもワクチンができれば彼らを助けられるかもしれない。そうだろ?」
セルティや静雄は、この病院にいても、新羅の目から見ればまだまだ眩しいほど真っ直ぐに、優しかった。

「こっちにだって余裕があるわけじゃない。人助けは余裕があるときにすればいいさ」
だから新羅は笑っていた。
いつものように、何の気負いもない笑顔。
「しん……」

そのときだ。
―――ドォン、という低い地鳴りのような音と共に、地面がわずか揺れた。

今のは、爆発音だ。
それも、正門から。
二人は、窓の外をみた。
煙が上がっている。

「火炎瓶ぐらいであの門が壊れると思わないけど……。うわ、結構な煙だね。もしかして、爆弾かな…?」
「んなもん作れるやついんのか」
「ネットが気軽に見れるなら、わりと簡単に作り方とか手に入ったけど……」

ね。
と、新羅が笑顔のまま固まった。
新羅?不思議に思った静雄が、その視線の先を追う。
それをみた新羅が、慌てたように「ちょっと待って!今見ちゃだめ!」と叫んだが、――遅かった。
黒山の人だかりが、黒煙の上がる中、正門を突破している。

その、後ろ。

まばらになだれ込む人混みの、後ろに、ひっそりとたたずんでいる、影。
静雄は、大きく胸を上下させ、息をとめた。
「―――い、ざ……や」
「だ、だよねぇ…!やっぱりそうだよね!うわあいったいどんなろくでもないこと考えてるんだあいつ。っていうか生きてたんだ。まあそんな気はしてたけど!」
新羅が、まくし立てるように、何かをいっていたけれど、ほとんど耳に入らなかった。
街角にたたずんで、正門になだれ込む人たちを、後ろから興味深そうに眺めている。
そうして、観察していた目が、―――ふいに、こちらをみた。
フードのしたで、赤い目が、瞬き、弧を描く。
遠目からもわかる、いやらしい笑みを刻んだ唇が、音をなぞった。

『シズちゃん』
「……ッ」

気づいたら、駆け出していた。
「静雄!」
背中から、新羅の声が追いかけてきた。
目の前にはT字路がある。
右手に行けば、実験施設。
左手に行けば、ゴーストタウンへと繋がる正門入り口へでられる。
「ああ、いくなっていっても聞かないんだろうね……気をつけて、静雄!」
静雄は答えないまま、角を左に曲がり、太陽の光が溢れる外に、飛び出した。



***


病院の周りは、天を突くような背の高い鉄柵が囲んでいる。
それは侵入者を拒む最強の盾だ。
「中に入れて!特効薬があるんでしょう?お願い、娘をたすけて!」
病院の入り口をでてすぐ、静雄の耳に届いたのはそんな声だ。
同じような叫びが鉄柵の向こうから、うねりのようになって静雄をおそう。
目を走らせれば、鉄柵の向こうにまばらな人影がみえるはずだった。
それが、いつもの光景だからだ。

しかし、その日に限って、それはなかった。
数人のガードマンが、白い防護服を身にまとい、銃を持って応戦している。
――何に?

「……なっ」

それは、一つの群集だった。
手に鉄パイプやサバイバルナイフ、果てには包丁をもって、数十人が鉄柵でおおわれているはずの敷地内に侵入していた。
みれば、鉄柵の付近から、もうもうと煙が上がっている。
すぐに、豆をまくような音がして、群集の先頭を走る男達が倒れ伏した。
はっとして両脇を見ると、ガードマン達が、手に持った銃をためらいなく群集に向けている。

「ッ……!」
まるで、戦場にでもいるような、恐ろしい光景だった。
銃などもてようはずもない、日本の一般市民は、なす術もなくたおれていく。
「……おいっ、まて!」

慌ててガードマンを制するが、彼らの上司は静雄ではない。
誰一人として発砲をやめなかった。
自分の声だけでは、足りないのだ。
舌を打つと、静雄は周囲に目をやった。
目に止まる。
もう機能していない、自動販売機がひとつ、ひっそりと壁際に設置されている。
駆け寄り、持ち上げた。

「てめぇらァアア……!」

低い獣の鳴き声のように、古い自販機が金属音の雄たけびを上げた。

「人の、話をッ、きけぇぇえ……ッ!」

放り投げる。
綺麗な放物線を描き、自動販売機は文字通り中を舞い、ガードマンと群集の、丁度真中におちた。
ひしゃげている。
恐ろしく非現実な光景だ。
ひっと息を呑む声がして、銃声がやむ。
信じられないものを見る目が、静雄に向けられる。
群集がのまれたように足を止めた。
静雄は肩で息をしていた。
くらりと、視界が歪む。

(なんだこれ、きもちわるい……)

それは度重なる薬害と採血による貧血が、尋常ではない筋肉の運動に耐え切れなかった結果なのだが、静雄にわかるはずもない。
しかし、群集は、そこにいるのが、かつて『池袋最強』と呼ばれていた平和島静雄なのだと認識したのか、ひるんだように足を止めたままだ。

なんで。なぜ、ここにこの男が。

さわさわと広がる動揺に、静雄は鋭い眼光をみまう。
気迫で負ければ、負けだと思った。
ガードマンは、守るのが仕事だ。
群集から動かない限り、次の発砲をすることは、ないはずだ。
静雄は、あしをすすめ、じっとこちらを伺う、人の群れを見た。
人々は、年齢も性別もばらばらで、ファッションも、持っている武器もまるで違う。
だが、目の中にあるギラギラとした、追い詰められた光だけは、判をおしたように、そっくりだった。

だからこそ、

「――帰れ。ここに、お前らが欲しがってるものはねぇ」











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