ほのかな明るみを帯びたオレンジや黄色が、暗闇に浮かび上がる。
内側に電気を通したのを、すき紙で覆い柔らかな明かりにしているようだ。
人魂のように見えなくもない。

「それじゃ、お国柄がごちゃまぜだな」
ひとりごちて、エールを呷った。 暗い緑の瓶に、あまたあるカボチャのバルーンが映りこんで、万華鏡のようにみえる。
ハロウィンのイベントらしく会場の明かりは、最小限に抑えられていた。 そのおかげか、天井まで届く巨大なジャックオーランタンのバルーンを初め、辺りを取り巻くランタンカボチャや魔女のバルーンたちが暗闇に良く映える。
空になった瓶を机に置くと、臨也は頬杖をついて机にもたれかかった。立食式のため、椅子はない。
仮装がイベントの主な目的なのだが、食事も用意されているらしく壁際にずらりと、それらしいものが並んでいる。
ゾンビの給仕に、パンプキンパイや赤い液体のぬられた骨付きチキン。
 
(食欲をそそられるかは、見る人次第だねぇ)

ちなみに臨也は、開場してからひとつも固形を口にしていない。
目の前を、猫の尻尾が生えたのや、オーソドックスな魔女、手の込んだミイラ男などが行き来する。なにが楽しいのか一様に笑顔だ。
異次元的な格好は、人を高揚させるらしい。
かくいう臨也も、白いシャツに黒のパンツ、銀縁の片眼鏡と闇色のマントをつけたドラキュラの仮装だった。 もっとも観察が主な目的なため、牙や耳はそのままだ。
あまりごてごてしたのは好まないためにドラキュラになったといってよかった。 とはいえ、類稀なる容貌は下手に手の込んだ仮装よりもよほどそれらしく見せていたのだけれど。
愛する人間達にかこまれて、臨也はゆっくりと口角をつりあげた。
その視線は、先ほどからずっとある一点を掠めるようにみつめている。
直視では確実に気づかれるので、視界の端にひっかけるようにして、臨也はその男を観察していた。
人ごみより頭一つ分高い痩躯に、やる気のなさそうな顔つき、暗闇の中でも光を吸う、金色の髪は警告色だ。

池袋最強の名を冠する平和島静雄は、臨也と同じドラキュラの装いでそこに立っていた。

といっても彼の場合、わざわざこんな人の多い場所に望んでくるはずもない。
イベントのアルバイトスタッフだった。
昨日手に入れた情報によれば、設営のスタッフだったところを、急遽借り出されたらしい。
当然勝手がよくわからない。
彼は騒がしい人ごみの中で、背中を丸めて、自分よりも頭2つ分以上小さな女の言うことに真剣に頷いていた。
どうやら彼女もスタッフらしい。
小さな魔女の扮装をしていて、怯える様子もなく小さな紙指しながら、静雄に何かの指示をしていた。
彼女が何か言ったのだろう、静雄がきょとんとして、その様を見た女が小さく噴出した。
静雄はどうも戸惑っているらしい。
それはそうだろう。
高校時代も、ましてや卒業して半年がたった今ですら、彼に普通に接する女などまともにいたためしがない。
静雄は、平気で腕を組んだり抱き合う男女がひしめく会場の中、自分に向けられる普通の笑顔に上手く笑い返すことも出来ないでいる。
実に和やかな、微笑ましくすらある光景だった。

くっと、喉が鳴る。
臨也は浮かべた笑顔が、深まるのを感じた。
視線の先で、静雄が何かを感じ取ったようにふと眉根を寄せる。
イベントを盛り上げるためのミュージックが、爆発するように高まった。
臨也の唇が、音のない言葉を形作る。

「調子に乗るなよ、化け物」

射抜くような視線。
かち、と高い音を立てて視線が刃を交える。
聞こえるはずもない声が届いたように、静雄がこちらを睨みつけていた。
その表情が、牙を剥いた獅子のように尖る。
彼の側にいた女が、驚いたようにその様を見ていた。
臨也は、反吐が出るほど親しげな笑顔を浮かべて、静雄に向かって足をすすめた。
静雄も、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま長い足でこちらに向かってくる。

「いぃーざぁーやぁーくーん」

巨大なかぼちゃバルーンのまんまえで、2人はきっかり3歩分の溝をひらけて顔をつき合わせた。
視線も、声も、表情も届く距離で、静雄は凶悪に笑った。

「やあ、シズちゃん。トリックオアトリート!っていうかお菓子も悪戯もいいから死んでくれたら嬉しいな!」
「なんでてめぇがここにいるんだぁ?いざやくんよお。二度と俺の前に姿みせんなって、卒業式にいわなかったか?」
「聞いた気もするけど、それでなんで俺がシズちゃんの言うこときかなくちゃいけないのかなぁ?」

臨也はいやみたらしく首を傾げる。
静雄の額に、3つほど血管の筋がうかんだ。
笑った口元で、尖った犬歯が吸血鬼のように悪目立ちする。
周りの客は、不穏な空気をたれ流す男2人を邪魔そうにしてはいるが、それが最近この街をにぎわせる平和島静雄だとは気づいていないらしい。
だが、それも時間の問題だろう。見開かれた静雄の目に、触れれば切れそうな凶暴な色がちらついている。
「親切に忠告してやったってのによお。人様の親切を無碍にするやつは殴り殺されてももちろん文句はねぇってことだよな」
ポケットから抜いた手を、これ見よがしに鳴らしてみせる。
「はは、シズちゃん日本語変だよ。誰が人間様だって?あたまわるいなぁ」
「るせぇ、その名前でよぶなっつってんだろーが!てめぇもいい加減おぼえやがれ」
そういって、拳をふりかぶろうとした静雄に、臨也は蛇のように目を細めた。

「いいの?」

ぴく、と静雄の腕が震えた。
「ここで暴れたら、せっかくがんばって準備したイベント台無しになっちゃうよ?」
静雄の目が、瞬きする一瞬の間に、正気の色を帯びた。
その目の中に、おそらく昨日までの設営にかかった様々な苦労がよぎっている。
視線が、臨也の背後、まだ何事もなくイベントを楽しむ人々をなでた。
「……っ、の下種が…っ」
歯の間から呻くような声だ。
静雄が、拳をゆっくりと、ゆっくりと、下ろしていく。
ぶるぶる震えているのは、ともすれば暴れそうな拳を必死に押しとどめているのだろう。
なんとまあ、健気な事だ。
臨也はここぞとばかりに鼻で笑ってみせる。
「なんだ。俺のこと殺すんじゃないの?その化け物じみた拳でさぁ」
「…きえろっ」
「え、なぁに?」
「見逃してやるってんだよ。うせろ」
今にも噛み付きそうな顔をして、それでも拳を収めようとする静雄に、臨也はにんまりとわらう。
はねるように近づいた。
唇を噛み締めるその顔をのぞきこむ。
瞳の色が、怒りで炎を舐めた金色に見えた。
「やさしいねぇ、シズちゃん。みんなのために我慢してあげるんだ、でもねぇ」
囁きは、息絶えるように静かだった。

「化け物が人の真似事をするなよ。きもちわるい」

どうせすぐに、化けの皮がはがれるくせに。
静雄が、はっと目を見開くのと、臨也が飛びのくのが同時だった。
ああ、さすが3年間だてに自分と戦争をしていたわけじゃない。
臨也の考えている事がきちんと理解できたのだ。
マントを翻し、踵を返した臨也は肩越しにひとつ、静雄に笑みをのこした。
月光の替わりに、電飾のライトが照らし出した笑みは、歪んで見えた。

「――っ、まちやがれ!いざやっ」
静雄の声を背中に、臨也は人の合間を縫うように走り出す。
一方静雄は、合間を縫えるほどに器用な体の使い方をしらない。
いろんな人にぶつかってはあちこちで悲鳴が上がった。
ただ、それで静雄が臨也を見失う事などありえない。
静雄の目は、いくら別に逸れようとすぐに臨也を捕らえるのだ。

(俺専用のレーダーでもついてるんじゃないの)

あながち間違いとは思えない可能性に、臨也の背筋が震え上がる。
それは何の種類の震えなのか。
ただ口元の笑みはますます深みを増したようだった。
会場内もまた、徐々に悲鳴や騒ぎの声を大きくしていく。
人の合間を縫うといえど、この人の入りだ。
臨也の逃げる場所も当然人ごみに左右される。
一瞬逃げ場を見失って、素早く視線を走らせた臨也は、その瞬間背後に気配を感じて、あわててその場を飛びのいた。
しかし逃げたと思った瞬間に、首に衝撃が走って息が詰まった。
視界の端に、自分のマントを掴む骨ばった手が見える。慌てて首もとで結んでいた紐をほどき、見出した逃げ場所にころがりこむ。
ちらと後ろに視線をやれば、すぐ背後に迫った静雄を捕らえた。
なぜこんなに早くみつかったのか、と考える前に煌々とした明かりを感じて目をやる。
あの巨大ランタンカボチャのバルーンの目の前だったのだ。
臨也は小さく舌を打つと、唐突に進路を左に変えた。
そのままカボチャの裏手に回ると、ポケットから取り出したナイフを構える。
カボチャの裏で作業をしていたゾンビが臨也に気がついたが、小さな銀色の刃には気づかないらしい。
臨也はその横をすりぬけて、指を沿わせたナイフで、カボチャバルーンの紐を断ち切った。

ひとつ、ふたつ、みっつ。

カボチャを固定していた計5本の紐のうち、真中の3つを断った。
バルーンは見るからに安定感を失った様子でぐらりぐらりと前後に揺れ始める。
当然だ、底の丸いものを左右でとめても、転倒はまぬかれない。
決してコンクリートほど重いものではないが、内部にある電燈と触れれば火災になる可能性だってあるし、なによりイベントは確実に崩壊する。
しゅる、と鋭い音を立ててロープがバルーンに引っ張られた。
巨大なジャックオーランタンが、ゆっくりと、前のめりになる。
気づいた会場から悲鳴が尾を引いた。
しかし、突然伸びた手が、ランタンカボチャのロープを掴む。
ジャンプしていた静雄が、掴んだロープを肩に担いで地面に降り立った。
男一人でこの巨大なバルーンの質量にたえられるはずもないのだが、静雄はわずかに眉をしかめただけで肩に担いだロープを支えている。
とはいえ、ロープは両手でもっているし、巻きつけるようにした腕には筋肉の筋が浮く程度には力が篭っている。
ロープはぴんと張られ、きりきりと音がしそうなさまは緊張感によく似ていた。
騒然とする会場内、臨也は静かにたたずんで静雄をみていた。
気づいている静雄は、視線だけは射殺さんばかりにこちらを向いている。
臨也はふっと微笑を返すと、ひとつ、ふたつ、ゆっくりと歩いて近づいた。

しかし、静雄は動けない。
手を離せば巨大なカボチャが転んでしまう事を良く知っているのだ。
もしかしたら、設営を手伝ったのかもしれない。
力を要する作業に、静雄の存在はぴたりと当てはまるように思えた。
静雄の目の前に立った臨也は、ロープを支えるために身を沈めた静雄と、視線を合わせるように体を折り曲げた。

「いざやぁ…ッ、てめぇ、この、ノミ蟲野郎が…!」
「ふふ、いい格好だねぇ、シズちゃん」
臨也は歌うようにいってわざと、静雄がこの世で一番嫌いな笑みを浮かべて見せた。
静雄が、興奮して飛び掛らんとする犬のように、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

「君の格好、まさに今のシズちゃんを表すみたいじゃないか。さしずめ、そのロープは君の理性の手綱だ」
「死ね」
「怒りにまかせ君がそのロープを手放せば、哀れ巨大どてかぼちゃは会場の客の上にふりそそぐわけだが、君が他人のために理性を手放さずに居れば、会場の皆は大変助かるわけだ」
「死ね」
「君はどれだけ人としての理性を手放さずに居られるんだろうねぇ?実にたのしみだよ!」
「死ね死ね死ね死ね死ね」
臨也は芝居じみた、高い笑い声を上げた。
「今からそんなだと先が思いやられるじゃないか。がんばってよシズちゃん。君の理性に俺が殴られるかどうかもかかってるんだからさぁ」

静雄は、臨也の言葉を耳に入れないようにするためか、ずうっと死ねと繰り返している。
まるで魔法の呪文のようだ。
それでも、ぎりぎりの一歩のところで理性を保っているのだろう。
臨也には首輪をかけられた犬のようにも見えて、いっそ哀れにすら見えた。

「ねえ、シズちゃん。そういえばハロウィンの起源って知ってる?知らないよね、もちろん!」

そんな君に親切な俺が教えてあげようと、臨也は小首を傾げた。
「ハロウィンはね、昔々大昔にさ、魔女やお化け…まあつまり化け物がこの日にこぞって人里にやってきて悪さをするから、自分たちも仲間だと思わせて難を逃れようっていう宗教的な行事が発端なんだよ」
わかるかな、とほっぺたをつついてやろうかと思ったが、さすがに噛み千切られそうなのでやめておいた。
替わりに、ぎりぎりの鼻先まで近づいて、にっこりと笑う。

「すごい皮肉だよねぇ?シズちゃんみたいな化け物が、化け物から身を守るためのイベントの主催側なんて」

赤い瞳と、飴色の瞳が溶けあいそうなほど見詰め合う。
怒りと憎しみで熱されて癒着したまま離れない。
静雄はいつの間にかぴたりと口をつぐんで、臨也の目をじいっとみていた。
「ねえ、何も知らない人間の女と、一緒に何かを作り上げるのは楽しかったかい?化け物のくせに人間に近づくなんておこがましいよ。そうだろう?」
「……」
「どうせ近づくのなら、自分が化け物だって言うこときちんと教えてあげてからじゃなきゃ」

臨也は目を細める。
瞬きをする瞼の裏に、戸惑いながら人に交じろうとする静雄の姿が浮かぶ。
もっとも、目を開いた一瞬後には、眩しいほどの静雄の視線に残像も残らないのだけれど。
「ほら、名乗りを上げてご覧よ」
臨也は、静雄の唇に唇を近づけた。

「化け物がここに居ますってさ」

呼吸が互いの唇に触れるほど近い。


***


騒がしい会場は徐々に秩序が戻りつつあった。
もっとも、イベントは一時中断となり、会場には明かりがともり目を焼くほど明るい。
白けて帰る人の群れがスタッフによって先導されていた。
客の相手をするスタッフとは別に、急遽呼ばれた設営スタッフたちが、巨大なバルーンをようやく立て直したところだった。
最後まで縄を支え続けていた静雄は、ようやくロープを手放し、わずかに赤くなった腕をさすっている。
俯いているためにここからは表情までは読み取れない。
ただ、静雄を遠巻きにみるスタッフや、まだ残っている客の顔ならば、昼のように明るい電気のおかげでよく見えた。

「――馬鹿だね、シズちゃん。君が理性を手放そうが、掴んでいようが、君が彼らにとって化け物だって事実には全然関係がないのに」

臨也はそういうと、双眼鏡をはずして懐にしまう。
クロークに預けておいたコートを羽織っているので、傍目にはほとんど何時もの格好と変わりがない。
ただ、こんな時間にビルの屋上にたって向かいのビルをみているのは明らかに変ではあったが。
踵を返そうとして、めまいを覚えた。
舌を打つ。

恐る恐る触れた額は、痛々しいほど真っ赤にはれている。
恐らく骨まではイッてない。
静雄に頭突きをされたのだから、陥没しなかっただけましである。
臨也でこの程度なのだから、あちらの額にはほとんどダメージなどないに違いない。
忌々しい限りである。
額がひどく痛む。
最後まで巨大なジャックオーランタンを支えた静雄。
その異常な腕力に、むけられた人々の視線が愛おしい。
まるで想像を逸脱しないのだから。
臨也は口元にそっと笑みを浮かべると、痛む額にふれぬよう風でみだれた髪にふれる。
臨也に苦味しか与えない静雄は、ただの人に対して砂糖菓子のように甘い。
ただのつまらない人間達にばかり、甘い甘いお菓子をわけあたえる静雄の姿は、滑稽だといつも思う。

「化け物のくせに。これ以上、人に期待なんてするなよ」

口元に浮かぶ笑みは徐々に深まるが、瞳だけは苦味に細められていた。



トリック・オア・トリート!
お菓子をくれないと悪戯するよ。






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