静雄の寝間は、居間とは廊下を挟んで対面にある。
物置と箪笥だけの正方形の部屋だ。放り込んだだけの洗濯物は、明日畳む事にして居間に移動させた。
物置の中には、幽からもらった布団が4つ入っていて、どれも絹の肌触りが心地よい。
静雄はそれに木綿のカバーに包んで使っている。客用のものもそろっているので、当然布団は二つ並ぶわけだが…。

「なんで二つでてんの?どうせ一つしかつかわないのに」

部屋に入った臨也はあっけらかんといってはなつ。静雄はそいつの顔面めがけてそば殻のマクラを投げつけた。
「よけんじゃねぇっ」
「何怒ってんの。ほんとのことじゃん」
居間にまで飛んだだろう枕を省みもしないで、臨也は寝間の襖をしめた。
ぴく、と静雄の肩が震えたが、臨也は何も言わず近づいてくる。
布団を並べていたため間で膝立ちになっていた静雄は、思わずのけぞった。
「…向こうでなにしてたんだよ」
「いろいろ必要なものとってきたのさ」
臨也は畳みに胡坐をかいた。
左の袖を探り、静雄の前にひとつひとつ、もってきたものを並べる。
こぶし大の瓶、錠剤が4つ、別の種類の錠剤が2つ、あとはミネラルウォーターのペットボトルがひとつ。
臨也は真ん中の、4つつづりの錠剤をてにとった。
「なんだ、それ」
「新羅にもらったお薬」
「……なんの」
「一時的に腸液を多く分泌するやつ」
絶句した静雄に、臨也は小憎らしいほど愛らしく首を傾げてみせる。三十路の男がするとホラーのはずなのに、妙に似合うのは何故なのか。
「男はどうしたって勝手に濡れないからね。きちんとジェルは使うけど」
ちなみにそれね、と指差されたのは白濁の液体が入った瓶である。
正直、眩暈がした。
「なんで…」
「なに」
「なんでこんなもん、準備万端にして人んち来てんだてめぇは!」
吠えた静雄に、臨也はゆっくりと、毒々しく笑った。

「どうにもならなくなったら、シズちゃんのこと犯して帰るつもりだったから」
「は……」

凍りついた静雄に、臨也は肩を揺らして、鼻先を近づける。
「酷い抱き方をしてやろうと思って」
「……」
「そうしたら、君は俺のこと、絶対忘れられなくなるだろ?」
微笑むくせに、赤い目はちらりとも笑っていない。
本気だ。
静雄はぞっと背筋を震わせた。

恐怖と、生理的嫌悪と、何より、――その執着への喜びで。

(ああ、大概救えねぇ…)

ぱき、と薬がアルミを突き破る音がした。
臨也が、静雄の顎に手をかけて、薄く開かせた唇にそれを放り込む。
あけた水のボトルを自分であおり、そのまま唇を重ねてくる。
覆いかぶさるようにして重なった唇から、温い水が注がれた。
錠剤はわずかな苦味を残してのどの奥に消える。
伏せた目を開けば、こちらをみつめる赤い目に出会う。
「酷くするよ」
臨也は囁く。
「死ぬまでトラウマになるような」
逃げるなら、今のうちだと言われている。

――試されている。

静雄は臨也の襟首を引っつかむと、自分から唇をぶつけた。
歯があたって、かちんと音を立てる。
臨也が、満足げに目を細めた。
「へたくそ」
あとは食い合うように唇が重なって、言葉にはならない。





――性的な経験値は、はるかに臨也が高い。
威勢がよかったのは初めだけで、静雄は息継ぎもままならないまま、必死に臨也の舌をうけいれていた。
口の端から唾液がこぼれ、白い浴衣の衿をしめらせる。
襟首を掴んでいた手は行き場に迷って、いまや布地をつかむだけだ。
それをみた臨也が、ちらと嘲った。
いらっとして犬歯で唇の端を噛んでやる。「この…っ」臨也が苦く、けれど笑った。
滲んだ血を、赤い舌がなめとるのを最後に、唇が離れる。

酸欠のせいか、混乱しているせいか、頬がたまらなく熱い。
臨也の手が腰に回り、兵児帯に触れた。襟元と帯の裾を弄び、首筋に唇を落とされる。
思わず腰が引けたのを、腰を抱かれてさりげなく阻まれた。
なだめるように、もう一度唇がかさねられる。
兵児帯の結び目が何度か引っ張られて、それが解かれつつあることを教えていた。
息継ぎに必死な静雄は、やがて腹のわずかな圧迫感がなくなり、そこがふっと冷たくなったのを感じた。
音を立てて唇が離される。

「さっきも思ったけど、浴衣の下に長じゅばん着てるんだ?」

珍しいね、という臨也の声に視線を追うと、帯が解けて前見ごろすべての襦袢がのぞいている。
ガーゼのように薄い生地は肌色が透けて見える。
臨也はあわせから両手を差込み、肩に指を滑らせるようにして浴衣を脱がせていく。

「なんか」
「…?」
「余計いやらしい」

絶句する。
呆気にとられる静雄を他所に、臨也の手はとうとう静雄の体からすべて浴衣をおとしてしまう。
畳の上に浴衣が落ちる柔らかな音がした。

(おかしい…)

静雄は自分の体を抱き寄せる手をかんじながら、首を傾げた。
いま、こうして布団に静雄を倒そうとする手さえ、乱暴な動きの片鱗も見えない。それどころか、気をそらせようとする唇や、頭をうたないように後頭部に添えられた手は、まるで逆のものをつたえてくるのだ。

(ひどく、するって)

いってたよな?

布団に仰向けになった静雄は、覆いかぶさる臨也をみあげた。
臨也は静雄の視線を受け止めると、そのまま静雄の体を視線でなでた。ほっと息をついて、細められた目に、静雄はいよいよ不審をつのらせた。
「いざや」
「なに?」
甘やかすような声で、応えられる。余計に戸惑って言葉をつまらせれば、それをどう捕らえたのか、臨也は静雄の肩をそっとなでる。
「いまさらやめるは聞かないからね」
静雄の緊張をとろうとするように、臨也の指が腕をなでた。
また、唇が落とされる。
まるで隙間を埋めるような労るキスに、静雄はその言葉が真実だと悟る。

てっきり殴る蹴るの延長にある行為をされるのだと、漠然と考えていた。

こんな、まるで大事そうに扱われては混乱する。
長じゅばんの脇の紐が解かれて、あわせから臨也の手が忍び込んだ。
鎖骨をなでられて、驚いて肩が震える。
指は骨をなぞり、肩の丸みをつつむ。臨也の唇が鼻筋をなでて、頬、首筋にくだった。
「お、おい…っ」
臨也の肩は細くて、どこまで加減をして押し返せばいいのかわからない。この男相手に加減をしてやったことがないのだから、当然である。
自然、首をすくめるようにして上体が逃げた。
臨也の指が静雄の体をなでる。形を確かめるように、ひとつひとつ、指が下る。
その感覚をなぞろうとすれば、ふいに首筋にちくりと痛みが走る。
肩をそびやかした途端、指が胸の突起を探り当て、つねられた。

「……っ」

痛いわけではないが、なんともいえないむず痒い感覚に息を呑む。もうどの感覚に驚いていいのか、静雄は身動きできずに体を震わせる。
別の手はわき腹をさするようになで、唇が鎖骨を食んだ。
臨也の指先はこわばった静雄の肉をなだめるようだった。なだめて、すかして、くたっと気を許したところから、何かを探り出すような。
手のひらは温かいのに、指先は冷たい。だからだろう、触れられるたびわずかに体が跳ねる。
ぞわぞわと、競りあがる感覚の波に、静雄は歯を食いしばって耐える。口元に手をやって、手の甲で漏れでようとする何かを抑えた。

「ちょっと」

ふいに手をとられて、静雄はつむっていた目を開く。
臨也が叱るようにこちらを見ていた。
「我慢しないで」
「…あ?」
「こえ」
臨也は静雄の髪をかきあげ、あらわな額に唇を落とした。
「別に、我慢してねぇ」
「してる」
「してねぇ」
一瞬、にらみ合う。艶やかだった空気に、ぴりっとした苦味が交じる。

慣れたその空気にもどるのだろうか、とふと思う。
臨也の目が剣呑に細められた。

「ふ、む…っ」

言葉ごと、食べるように舌を絡められる。唇が重なり合って、さざめくような水音に静雄は目を細めた。
ぬるついた舌が、上あごをなで、くすぐる。また背中を、覚えのある感覚が波のように寄せては返した。
腰から足の付け根をなでられると、いよいよそれがただの呼吸困難ではないと、いやおうなく思い知る事になった。

「ふ…は、ぁっ…」

息継ぎに、色めいた音が混ざる。
やがて唇が離されても、静雄の胸はそれとわかるほどに大きく上下している。襦袢が滑り落ちて露になったそこに、臨也は唇を落とした。
雪が溶けるような柔らかい唇の感触がいくつか。突起を舌が舐めあげた瞬間、静雄の肩に力が入った。

「ん…っ」

尖った犬歯を立てられたり、先をつつかれて、静雄は「う、…っ」と小さく声を上げては、いやいやするようにゆるやかに首を振った。
伸びた髪が、ぱさぱさと布団に散る。
臨也の膝が静雄の足の間に置かれているために、肌蹴た襦袢からゆるく開いた足がのぞく。
臨也の指はその足をゆっくりとなで上げた。整った細やかな肌理を楽しむように、内股の柔らかい肌を微妙な強弱をつけてなでる。
そこまでくれば、次に何が待っているかなど、静雄にもなんとなく察せられた。

指先が付け根の更に奥まった場所を、下着の上からなで上げる。びくん、と静雄の肩が震えたが、臨也の指は迷うことなく下着の隙間から忍び込み、静雄の性器を手のひらでつつんだ。
臨也の手には、ところどころ皮の固い場所がある。体一敏感な場所で知った。
信じられないことにわずかに勃ちあがっていたそれを、臨也の指がやわやわとマッサージするみたいに触れる。
「ぁ…っ」
「大丈夫」
詐欺のようにヤサシイ声で、臨也がささやいた。
「痛いことはないから。気持ちよくしてあげる」
思わず肘で上体を起こした静雄だが、耳を食まれて丁寧に扱われれば、ぎゅうとシーツを掴んで耐えるしか術がなかった。

抱きたい、といわれて、承諾したのは自分だ。
臨也が、満足そうに息をついた。

臨也の言葉に嘘がないと証明されたのは、それからいくばくもしないうちだ。
「ぁ…っ、う、あ!」
自然からだをちぢめるようにたてられた膝の合間から、ぐちぐちとぬれた音がしている。
じゃまだから、と下着は問答無用で剥ぎ取られた。
胸の突起を弄られているためか、それとも絶え間なく性器をすかれる刺激にか、震える肘はもう体を支えるには不十分だ。
ちゅ、とリップ音を残して、胸が責め苦から解放された。静雄は布団に倒れこんで、臨也の手が与える刺激を逃がすように背中を布団にこすり付けた。
ぶるぶる震える拳は必死にシーツを掴み、声を殺すなと言われたくせに噛み締めた唇は端が震えている。

人に追い詰められるとは、こういう事を言うのか。
初めてしる事実に、目の前がちかちかする。
「い、いざ…もう離…せっ!ぁ、あっ」
「いきそう?」
なんともないように聞いてくる。
「いいよ。いっても」

ふざけんな。

こんな、上から余すところなく見られたまま、射精しろというのか。
ひとりだけ赤子みたいな体勢で、髪も顔も乱れていて、みっともない事この上ないのに。この上恥の上塗りなどできるわけがない。
静雄は腹に力を込めて耐えたり、息を緩めたりと、必死の抵抗を見せるが、体はそれに逆らうようにぶるぶると震え始めた。
瞳に、涙が溜まる。
歪んだ視界に、歪んだ赤色が見えた。

静雄の漏らす声、表情の一片も逃すつもりがないと語るようだった。
静かに、熱のたゆたう赤い色。
なにかがぞくぞくと、背筋を駆け上る。

固いゆびさきが、裏筋を何度も擦り上げ、先端の割れ目に爪を立てる。
静雄は、自分の体が意思とは関係なく、衝撃に反ったのを感じた。
「ひ!ぁッ、ァ、ああ―――ッ!」
勢いよく白濁が飛び散る。陸揚げされた魚みたいに、体が震えた。
握り締めた瞬間、布団のカバーが悲鳴のような音を立てて破れる。
臨也の指は、中にある精子のすべてを絞るように、裏筋を何度も擦りあげる。
「ぁ…っ!や、ああ…」
静雄の眦から、ぽろ、と生理的な涙がこぼれた。
やがて、最後の一滴までも出し尽くした静雄は、ぐったりと布団に倒れ付した。
立てたままの足は膝で擦り合うように力が抜け切っていたし、赤い突起の腫れた胸は、力なく上下していた。
静雄は目元を左手で覆い、どっと押し寄せた倦怠感と戦っていた。

「シズちゃん」
目元を覆う手を、そっと持ち上げられる。無自覚にいやだと首を振ったが、イッたばかりの感じやすい体はあまり力が入らない。
臨也に手をつかまれるまま、視界はひらけた。
息も整わないまま、うっすら水の張った目で睨みつければ、なぜか喉で笑われた。
「てめぇ…」
持ったままの静雄の手に、臨也は唇を落とす。
静雄の指先がすくむ。
(…なんで)
優しい視線も、労る指先も、反対に熱のこもった眼差しも、静雄を混乱させるばかりだ。
こんなのは、知らない。例え見せ掛けですら、この男から与えられた事はない。
臨也が、ふいに体を離した。中途半端になっていた静雄の体をきちんと布団の上にのせ、枕元で何かを触っている。

「おい…?」

振り返った臨也は、手に何かを持っていた。
例の、白い液体のはいった瓶である。
ぎょく、とこわばった静雄の顔を見て、臨也は目を細める。
けれど何も言わず、瓶の蓋を開けた。
「い…いざや」
「ん?どうしたの」
静雄は口ごもった。
今まさにその準備を進めている相手に「本当にする気か」と問うのはバカである。
結局黙って、臨也が自分の手に瓶を傾けるのをみつめた。
瓶を畳の上に置き、臨也はもう片方の手で液体をすくったまま、それを静雄の足の間、先ほどよりも更に奥まった場所にふれた。










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