部屋の前にいたのは、昼間見たばかりの染み一つない白衣だ。

「―――随分なご活躍だったらしいじゃないか、静雄」
「うるせぇな。嫌味を言われなくても、解ってる」

静雄は、うんざりとため息をついた。
ようやく森厳の拘束から解放されたとたん、その息子につかまったのだ。
無理からぬ事といえばそうだった。
与えられている自室にはいろうとすると、新羅はその腕にふれた。

「怪我は」
「…ねぇよ。さんざん、お前の父親に調べられた後だ。ついでに血液ももってかれた」
「かお、紙みたいだよ。真っ白だ」
「しってる」

結局新羅は静雄に続いて部屋に入り、ベッドに直行する静雄に毛布をかけ、支給されている増血剤と水を枕元にもっていってやった。
「飲んでおいたほうがいいよ」
「…わりい」
「そう思うなら、二度とあんな真似しないことだね」
「うるせぇ。ずっと建物の中にいたくせに」
つい、口からこぼれ出た。
別に新羅の事を責めるつもりはまるでなかったし、そんな権利は皆無だった。
それ、なのに。

静雄はもごもごと、布団をかぶり、体を丸めた。
その頭の上から、容赦のない言葉が降ってくる。
「遠慮したんだよ」
「……」
「君が本気で死にたがっているように見えたから」

私には、してあげられないからね。

「だから、でていっていいものか、悩んでしまった」
新羅はそういって、布団をぽんぽんとたたいた。
「おやすみ」
「……」

静雄の返事がないのを気にも留めないで、新羅が、出て行く。
その、部屋で。
静雄はもぞもぞと布団から顔を出した。
そして、おかれた増血剤と水に手を伸ばし、飲み干す。

「……にが」

甘いものが欲しい。
まだ水の残ったコップをサイドテーブルに戻し、静雄は、ぐったりと、ベッドに顔をふせた。
頭を抱えるようにして、大きく、大きく、ため息をつく。
(怒ってた、な)
新羅のことだ。
まるで容赦がなかった。
あえて空気を読まない発言、などというレベルではなかった。
あえて刺し殺す発言。
それにつきる。

―――あのとき。
本当に、自分は、臨也に殺されてしまいたかった。
殺してくれと、思ってしまったのだ。
否、本当は、もっと前から思っていたのかもしれなかった。

(なさけ、ねぇ…)

だけど、静雄はずっと、怖かったのだ。
人が、あと、2年あまりで、人っ子一人居なくなる、その世界で。

―――静雄だけが、立っている。

それは、背筋がこおりつくような、悪夢だ。
その、悪夢に、静雄はすこしずつ、すこしずつ、指先からこおりついていた。
ずっと、長い時間をかけて。
多分それは、両親のなきがらを抱いた時、その悪夢のような可能性を考えることを放棄して、幽が病にかかったときに、心を氷付けにして、恐怖を忘れた、その結果だった。
そんな風にして、生きた静雄を、あの男が。
昨日の昨日まで頭の端にものぼらなかった、あの男が――打ち砕いた。
鋭い殺意は、静雄の体の芯を覆う氷を、溶かした。
久しぶりの命のやり取りは、静雄に密かな願望を持たせたのだ。

この、命を、奪って欲しい。

それは被虐的な願望になって、ほんの短い間にもかかわらず、静雄に深く深く根付いた。
臨也に引き倒されて、「殺そう」と本気でおもう目にみつめられると、背筋がぞくぞくした。
それはまるで快楽だった。
気がついたら、殺してくれ、と臨也にねだっているほどには。
あの時の自分の視線は、きっとどんな淫売よりひどい物だったに違いない。

―――それが、どれほど勝手なことなのか、気づいたのは、臨也に銃口が向けられていた時だった。
静雄は、絶望したように呻いて、仰向けに寝返りを打つ。
目元を、手で覆いながら、「すまねぇ」と呟いた。

「わるい、幽……本当に、わりい」

幽は、静雄が願うから、病を克服するために、どんなつらいことでも、黙って耐えているのだ。
(それ、を…)
一瞬でも、忘れた。
そう考えると、もうダメだった。
ぼろりと、目の端から涙が溢れ、天井を見上げながら、静雄は何度もごめんと謝った。
それからやがて、
「こわい」
謝罪に、そんな言葉が交じり始める。
ごめん、でも、怖い。
怖かった。
でも、本当に、悪い。
謝罪と本音は、誰に聞かれる事もなく、涙と共に流れていく。

(二度と)

二度とは、ない。
そう、決意する。

けれど、静雄は、遠からず襲撃してくるだろう人々をおもった。
自分はきっと、彼らを守る名目で、また飛び出すのだ。
そうして、それを予測しているだろう、臨也に、出会う。
(――ここに、こいよ)
そのナイフが届く距離に、どうか、きて欲しい。
――その心のうちで、かつてないほどに、自分が臨也を待ちわびていることに、静雄は気付いていた。











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