「――やあ、ひさしぶり」

新羅は、静雄の部屋から出た病院内の待合室で、電話を受けた。
衛星電話だけは未だに傍受可能であるにもかかわらず、2ケ月のうち、今の電話相手が新羅にかけてきたのは、これが2度目だ。
「随分派手にやらかしたね。連絡ないから、一時期は死んだのかと思ったよ」
『新羅』
電話のあいて、――臨也は、久しぶりにもかかわらず、元気かの一言もなしに、こういった。

『なんなの、あれ』
「あれって?」
『惚けないでよ。あの化け物の事だよ。なんなのさ』
新羅は、くすくすと笑った。
臨也の平坦な声が、逆にひどく彼の混乱ぶりを現しているのを感じ取ったからだ。
「みてのとおり、弱ってるのさ」
『……』
「気に入らない?」
『気持ち悪くて、正直ドン引きはしてるけど』

臨也は、そういった。
きっと肩をすくめているのだろう。
その表情の細部まで思い起こせる新羅は、けれど、――臨也のそのときの行動までは見通せなかった。
臨也は、ようやく帰宅し、外出用の衣類を乱暴にぬぎすてているところだった。

『肉親の死はそうとう堪えたらしいね。可愛そうに。ご祝儀でも送りつけてやればよかったかな』
そんな口を叩きながら、臨也は脱いだコートをソファにかけていた。
「ここ2ケ月ほど、随分充実した人間観察ライフを送れたんじゃないのかい」
『うん、正しくそうなんだけどね』
ぺたぺたと、臨也は自分のデスクに向かい、ふかふかの椅子に腰掛けた。
『邪魔は入らないし、追い込まなくても状況は常にギリギリ。最高の観察状況さ』
いいながら、臨也は手袋のボタンを外す。

「あいかわらず最低だなぁ君は。ところで、またあの人たちをつれて襲撃にくる気かい?」
『人聞きの悪いことをいうなよ。彼らが、自分で、自分のすべき事をみつけたのさ』
「あーはいはい」
まるで相手にしない新羅にむっとして、臨也は通話ボタンに手をかけた。
するとその気配を察したのか、
「あのさ、臨也。これは友人へのお願いなんだけど」
『ふん?』
「せめて余生を気楽に楽しくすごしたらどうだい」

臨也は、くっと喉を鳴らした。
『俺は今、すごく楽しいけどね』
「ははは、歪んでるなあ」
『心外だ。というわけで慰謝料として、また4つほどおくってくれないかな。在庫がきれたんだ』
新羅は、笑っていった。
「慰謝料なんていい方しなくても、そろそろ送る準備をしてたところだよ」
『へえ、気がきくじゃないか。新羅の癖に』

「友達だからね」

臨也は一瞬虚をつかれたようにだまって、それから苦笑した。
『…それは、どうも、ありがとう』
「どういたしまして」
『ああ…。じゃあ、切るよ』
いって、臨也はとても一方的に電話を切った。
その瞬間、笑みが消える。
手袋は、もう半分まで剥がれていた。
その、最後を、臨也は脱ぎ捨てる。
その手は、――薬指と、中指の第一関節まで、完全な石だった。
緑と、灰色のまざった、薄気味悪い、滑らかな人の形の、石。
臨也が、この病を発症したのは、もう7日前だった。
普通よりもずっと進行が遅いのは、新羅にもらった、ワクチンの試作品が、功を相しているためだ。
臨也はその手を、目元に当てて、目を閉じた。

「ころして、ほしい、ね」

なんて顔で、何てことを言うのだろう、あの化け物は。

臨也は、歌うようにそういうと、そっと息をついた。
オフィスチェアに深くもたれかかれば、ギシリとわずかにきしんだ音がした。
臨也は随分長い間、そうしていた。
今日、あの病院を襲撃させたのは、どうしても、あの男を見ておくためだった。
畏れられているくせに、仁義溢れる面をしていた、あの男が、身内を抱えて自分だけ、安全圏にトンズラした。
その顔を、指をさして笑ってやるつもりだったのだ。
多分、臨也は、静雄が逃げたという報告を受けたとき、その程度の化け物かと勝ち誇った気になったのと同時に、ひどく腹を立てていたのだ。
だから、外側ほど強くはない、あの柔らかい心に爪を立てて、えぐって、臨也に言われたことを忘れないように、深く深く、ナイフでえぐって傷を作り、それから時間を置いて殺してやるつもりだったのに。

「まさか、懇願されるとはねぇ…」

ため息が、もれる。
さて、どうしよう。

臨也は思いながら、ポケットから、重たいそれを取り出して、机に放り投げた。
すわり心地がわるい、と思ったら、入れていたのをすっかり忘れていた。
ごとり、と相応の音を立てておちたのは、――拳銃だ。
臨也はそれをみつめて、今度は声に出して呟いた。

「…さて、どうしよう」

今度はそれを、持って行くべきか行かざるべきか。
殺してやるべきか否か、それが問題だった。
なぜなら、あの化け物が自分の訪れを心待ちにしているといならば、姿を現して喜ばしてやるのは何か違う気がする。
それなのに、臨也を見て喜ぶ、臨也にねだる、あの男をみるのを、恐らく自分は、―――今から楽しみにしているのだ。

臨也の口元が微笑を浮かべた。
世界の終わりに、あの化け物が絶望して生きているのがいいのか、苦悩のうちに死んでいるのがいいのか、選ぶのは自分だ。
それは創作の喜びに似ている。

「楽しくなってきたなぁ」

臨也はひどくうっとりとした顔で、世界の終わりをみつめた。






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ワールドエンドアンソロジー様に提出いたしました。ありがとうございました。



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