シズちゃんのパンツへのこだわりは壊滅的だ。とにかく安い。その一言に尽きる。
デザインとか履き心地とかそういったことは一切考慮されない。
いわゆる主婦の御用達、スーパーで投げ売られているような3枚サンキュッパ。こういうものをシズちゃんはことのほか愛していた。
貧してる家庭の旦那さんたちが、涙を呑んで穿くそれを、シズちゃんは目をキラキラさせて自慢する。
「おい、見ろよ臨也!このパンツ、一枚百円かかってねぇんだぜ…!奇跡だろ」
恥じろ。
なぜそれを誇るのか、俺には到底理解できない。

以前そういった意見を述べた時だ、シズちゃんはさも軽蔑しきった顔で俺を見て「これだからノミ蟲は」と舌をうった。
「他人に見られねぇもんにまで、なんで金かけなきゃならねぇんだよ」
「人に見られない場所に気を使ってこそおしゃれって言うんだよ!」
「はっ!手前はまずその真っ黒くろすけのファッションセンスをどうにかしてから口開け!」
遺憾だ。これは大変遺憾だよ。
言っておくけど俺のコートもシャツもズボンも、一枚一枚きちんと違いがある。それすらわからない男に、それも大漁旗のパンツを平気で穿くような男に、俺の洗練されたファッションセンスを馬鹿にされた!許されないよ。
俺は懇々とブイネックの切れ具合の違いについて説明してあげたけれど、シズちゃんは一切理解できなかった。同じように、俺もシズちゃんがいちいち自慢してくるすさまじい柄のパンツ(それも日に日に単価が下がっていく)の良さを説かれても一切理解できなかった。
悲しいことだ。人間とゴリラは所詮理解しあえないってことなのかな。悲しいね。

俺は買い求めた黒いズボンや黒いシャツについていちいち解説するのを控え始めたし、シズちゃんのほうもたまに新しいパンツが増えているのを見るけれど、特に自慢してくることもなくなった。
相互理解をあきらめたといっていい。
それでもシズちゃんのは柄が柄だ。
大漁旗に始まり、豹柄、迷彩はまだ良い方。見知らぬ黒人が親指たてているイラストやサクランボ(これは何かを示唆してるのかとちょっと悩んだ)、クラゲや何とも言えない色合いの花柄、バカボン、ドラえもん、赤一色など。さまざまな柄パンが勢ぞろいしている。
突っ込みたくなるのも人情だろう?
呆れ半分、仮にもそういうことする仲の俺に見せるんだからもうちょっと気を使えよっていうがっかりともつかない憤り半分。
風呂上がりのシズちゃんのパンツに自然に目が行くのが習慣になりつつあったころだ。
俺はある、とんでもないことに気が付いた。


ガララ…と風呂場の扉が開く音がした。次にぎしりと音がして、シズちゃんが脱衣所に上がったことを示している。
俺は仕事の手をぴたりと止めて、パソコンから顔を上げた。
今日は土曜日の夜だ。当然ながら次の日は日曜日。そして久しぶりのシズちゃんのシフトがお休みの日だった。
自分がすこし、そわそわしていることに気が付く。意識して、パソコンに目を落とした。
ほんの少しして、洗面所の扉が開き、ぺたぺたという足音がした。
冷蔵庫の扉が開く音。――いまだ。
ぱっと顔を上げて、シズちゃんの後ろ姿を盗み見る。
俺は衝撃を受けた。

(Tシャツ一枚だと……!!)

そのTシャツはシズちゃんが寝間着として重宝しているものだ。シズちゃんの身長をもってしても長いもので、そう、言ってしまえば尻が丸ごと隠れる。柄パンツの裾のチラ見せすらない。
そう、パンツが見えない…!
シズちゃんは、首からタオルをかけて、冷蔵庫の扉に冷やしてある牛乳を一気飲みしている。食事はシズちゃんが担当なので、牛乳パックの残りを把握しているのだ。ああして直接飲んでるってことは、残りが少ないんだろう。
薄くやわらかいTシャツが、シズちゃんの骨ばった背中を緩やかに包んで、尻のわずかな曲線に陰影をつけている。腰にわずかな淡い影、尻の合間に同じ影がある。対比するように肩甲骨と、尻は、明かりを受けて白く輝いていた。
ぷは、とシズちゃんが息をつく。牛乳パックを流しでゆすいで解体している。その姿をじっと見つめた。
歩くたびに、Tシャツの裾がひらひらと頼りなく揺れる。なのに、一向に柄パンツは見えてこない。
……まさか穿いてないなんてことないだろうね。
そう思った瞬間、Tシャツの裾から、ほんの一瞬オレンジ色のものが覗く。
穿いてる!
オレンジ…いや一瞬だったから赤だったかもしれない。
俺は盗み見た裾を思い起こした。視線は再びパソコンに落とす。気付かれないように視線を行き来させた。
……正直、ここのところお互い忙しかった。ずいぶんご無沙汰だ。もっと露骨にいえば、俺は今日その気だった。別にシズちゃんが穿いてなくても一向に構わないのだけど、できれば同じ感覚でいてほしかった。
すると、
「くっ……」
ふいに、流しの方を見ていたシズちゃんの肩が震えた。
くっくっ、ってああこれは笑ってるな、って気づいた瞬間、シズちゃんが肩越しに振り替える。
「手前、見すぎなんだよ、ばぁか」
シズちゃんは上機嫌に唇をゆがめて、目を輝かせている。輝くっていっても、子供みたいな、というあれではない。どっちかって言うと、けだものみたいな、というかそう。
(――男くさい)

シズちゃんは、にやにや笑いながら、キッチンからこっちにくる。俺はソファの上で、ノートパソコンを膝に乗っけながらそれを見ていた。顔に何か出したら負けだ。せいぜい冷たい無表情に見えることを願う。……もう遅いかもしれないけど。
シズちゃんは俺の目の前までやってくると、膝の上のノートパソコンを取り上げて、片手でそっとテーブルに置いた。
「乱暴に扱わないでよ」
「家帰ってまで仕事してる手前がわりぃ」
シズちゃんはそういうと、あろうことか人の膝をまたいで、ソファに膝立ちになった。俺は自然、足を組んだまま背もたれに沈む。シズちゃんは俺の首に両腕をからめて、目元、鼻先、口にキスをした。
すぐに舌が入ってきて、俺の舌を吸い上げる。
「ふ……ん……っ」
膝立ちのシズちゃんと唇を合わせるために、俺の首が犠牲になっている。
俺はシズちゃんの舌を絡め取って、自分のほうに取り返す。舌先を甘噛みしてやって、側面をそっと舌先でなぞる。
「ん…っ」
ちゅっと音を立てて、唇が離れる。シズちゃんは、赤い顔で肩で息をしていて、それでも目を眇めて、口元では凶悪に笑っていた。
俺だって息が上がってる。
シズちゃんのむき出しの太ももに両手を添えて、ゆっくり上に向かって撫で上げた。
手が、シャツの裾にかかろうかという時だ。
シズちゃんが俺の首からするりと手を引いて、俺の手をがっちりホールドした。
シズちゃんは、得意げに胸をそらせて、そのくせ俺と目線を合わせるように顔を寄せている。
「おいたはよくねぇなぁ、臨也君よぉ」
何がおいただ。ゆっくり上下するシズちゃんの胸で、乳首がやわらかくTシャツに輪郭を浮かび上がらせている。尖らせた舌先で、言葉通り悪戯するように、つんつんつついた。
「ふ……っ」
シズちゃんが息をつめた。上目で見上げれば、唇をゆがめて、喉で笑われる。
シズちゃんが前のめりになって、米神に唇を触れさせながらささやいた。

「なぁ、見たい?」
「うん。…見たい」

子供みたいな問いかけに子供みたいに単純に返した。シズちゃんは、よくできました、というように俺のつむじのあたりに唇を落として、俺の手をつかんだまま、ゆっくり上にあげさせた。
Tシャツの裾がまくられていく。
オレンジ、赤、黄色、色とりどりの布地があらわになっていく。
そうして現れたのは、かわいらしいウサギが、ぐっと親指を突き出しているイラスト。
妙にアメリカンだけど、妙に可愛い。
その柄パンツは、最安値を更新していく柄パンのなかで、唯一俺がほめたものだ。
理由は簡単。
俺はTシャツを腹までまくって解放された手を、背中に滑らせてパンツの中に突っ込んだ。
薄い、けれど力を抜いている時には柔らかな尻を鷲掴みにして、そっと押し上げる。
多分、シズちゃんのお尻の間では、パンツにプリントされたウサギの尻尾がくっきりと見えているはずだ。

(尻のはざまで揺れるウサギのしっぽが、妙にかわいく見えたんだよね)

可愛いね、って一言ほめてから、シズちゃんは『今夜はそういう気分だ』って時には、そのパンツをはくようになった。
単純なのかもしれないけど、そういうことをされると、妙にいじらしく見えてしまうのが不思議だ。
「シズちゃん…」
「ん」
シズちゃんは、少し熱っぽい息をはいて、俺の首にもう一度腕を巻きつけた。
今度こそぎゅって俺の頭をだくのに、尻を少しだけ突き出す。
俺は、すっぽり手の中に納まる尻から右手をはなし、背骨の一つ一つを人差し指でなぞりながら、とりあえずこのTシャツをはごうと考えていた。

一枚九十八円のそのパンツを、もっとじっくり見るために。







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