城は古びてはいたものの、どっしりと重みのある建物で、なにより磨きぬかれた床や壁は清潔感と人の温かみを感じる。
愛馬をおりた日々也は、出てきた馬丁に愛馬を預け、デリックの手を引いた。
「お、おい?」
「ついておいで」
日々也がデリックの戸惑いをなきものにして言うのと、城の巨大な玄関が開くのが同時だった。
飴色の木でできた扉はデリックでも見上げなければならないほど高く、見るものを圧倒する重量感がある。
それなのに開いた扉から顔を出したのは華奢な女中で、どうにも凄まじい違和感だった。
「おかえりなさいませ、日々也様」
「うん」
「お連れの方は」
「拾ったんだ。可愛いだろう」
俺は犬じゃない。
微笑ましく「あらあら」と首を傾げる女中の側を日々也に手を引かれたまま通り抜ける。
あらあらじゃないだろ、あらあらじゃ。
大の男を犬よばわりするとか、お前達の主の異常さにちょっとは気づいたらどうだ。
玄関を入ってすぐ二階へ登るらしい巨大な階段が目の前にそびえたち、大小さまざまな絵がシャンデリアの明かりに輝いていた。
ひかえていた女中たちが日々也の周りに集まった。
「おかえりなさいませ、若君様」
いいながら、ほどかれた日々也のマントを受け取る。(王冠はのっけたままなのはもうしょうがないのかな、とデリックは思う。)
日々也も当たり前の顔をしてあずけながら、年かさの女中に微笑んだ。
「しばらくは客分だ。もてなしの準備を」
「は?」
「かしこまりました、若君様」
いやかしこまられても。
デリックは日々也の肘をちょいちょいひいた。
「ちょっとまてよ、オウジサマ」
「日々也だ。なんだそのふざけた呼び名は」
日々也は眉をしかめていうと、何が問題だといわんばかりの『きょとん』としたデリックの目にかちあった。ため息。
デリックの手をからめとり、毛足の長い絨毯の上を、日々也は当たり前のように進んでいく。
絵に描いたような豪奢な城内に、気後れするより現実感が湧かない。
「なあ、おい。どこつれてく気だよ」
「心配しなくてもベッドの中じゃないよ」
「…そら恐ろしい冗談をまぜんな。ダメージがでかすぎてうけながせねぇ」
日々也は喉で笑うと、ふりむいて目を細めた。
「つかれたろう?旅の垢をおとそう」
「…それはどういう趣旨の発言だ」
「行き先は湯殿。あらってあげるといってる」
「け、っこう、だ!」
おもわずたちどまった。
日々也が後ろにつんのめる。
デリックを見上げる目が不思議そうに瞬いた。
「なぜ」
何故ときたか。
デリックは眩暈がした。
なんで、このオウジサマはこういうときだけひどく無防備な顔をするのだろう。
ともかくも、どこから説明をしてさしあげればいいものか。
考えていると、
「……おい?」
怪訝そうな日々也の声に、デリックは首を傾げた。
――日々也の顔が、ななめをむいてる。
いや、日々也だけではない、その背後の廊下がねじれている。
なんだどうした。
とりえの顔が大変だぞ、おまえ。
デリックはそう口に出したつもりで、その実、ひとことも発さないまま目を瞬いた。
「どうした、顔が白……デリック!?」
驚いた日々也の顔が奇妙にねじれた。
(――いや、ねじれてるのは俺の視界か) きづいた瞬間、デリックの意識は闇に飲まれた。



***


「疲れだそうだ」
次に目を開いた瞬間、とびこんできたのは天蓋の精緻な彫りこみと、紗のあたたかな輝きだった。
どこからか風がそよぐたび、紗は繊細にゆれる。
ベッドに寝かされている。
暫くはぼんやりと夢うつつを漂っていたデリックは、ようやっとその事実に気づいて、みじろいだ。
それにきづいた日々也が、側にやってきて、いった台詞が冒頭のものだ。
「お前には旅など慣れないことばかりだったろう。気づいてやれなくて悪かったね」
指がデリックの髪をかきあげた。
デリックは日々也の指が皮膚をなでるのにすこしだけ身を震わせ、首をすくめた。
その様子に、日々也が喉を鳴らす。
「…いま、なんじだ。どれくらい眠ってた」
デリックは首をめぐらせて紗の外をうかがう。
木彫の家具や暖かな色のチェアがみえた。
それらは柔らかい光につつまれている。
夜ではないらしい。
「昼をすぎたところ。おまえはまる一昼夜ねていたよ」
「いっちゅうや…」
言葉が脳に染みるのに時間がかかった。
「侍医のみたてでは、ただの疲労で、とくにプログラムの不具合ではないそうだ。よかったよ、おまえをここに連れてきたのが原因ではなくて」
日々也がいっているのは、つまり『ウイルス』のデリックがこのセキュリティスイートにいることを意味する。
「体はうごきそうかい」
「…問題ない」
「よかった、他にいたいところは」
「……」
デリックは口をつぐんだ。
その様子をしばらく眺めて、日々也はいう。

「…ちなみに。侍医のみたてでは、尻は10日もすれば完治するそうだよ」

絶句して見上げた先で、日々也はいささか意地の悪い笑みを浮かべた。
「おかげで、乗馬経験のないものに3日もつづけて馬にのせるなど、尻の皮をはぐ気かと怒られた」
「……っ!死ねバカ王子!」
頭のしたの枕をとって、なげつける。
爽やかに微笑みながら、日々也はそれをキャッチした。
視線で人が焼き殺せたなら。
デリックは本気で思った。
「痛かったのなら痛いといえばよかったろう。意地を張るからだ」
「はってねぇ。痛くなかった」
「嘘をつけ。猿みたいに真っ赤だったよ」
「み…!」
みたのか!とは言葉にできなくて絶句すれば、微笑がかえってきた。
「ともかく今は回復することだね。ここはお前のために用意させた客間だ。不自由もあるだろうが、足りないものは女中にもうしつければ用意させよう」
不満が顔に出たのだろう。
日々也は念を押すようにいった。
「ともかく大人しくしていなさい。命令だよ」

―――デリックの尻の皮は、それから5日ほどで完治した。

「回復力おちてんな」
「…それでなの?侍医はありえないと慄いていたのに」
その会話をしたとき、二人は夕食をとっていた。
室内の明かりと、テーブルの上の蜀台でその場は不自由しないていどに明るい。
ならべられた料理とともに、多分それは、とても贅沢なことだ。
――おまえを俺の騎士にする。
などとほざいておきながら、日々也はこの数日、デリックを完全な客分としてあつかった。
臣下として使うのではなく、丁寧にもてなされている。
食事も湯も時間ももったいないほどつぎ込まれた。
日々也も、一日の大半は仕事でばたばたしているくせに、一日もあけずデリックに会いに来た。
あれだ。
えさを探して運んでくる燕の親みたいだ。
決して臣下にする対応ではない。
今だって、主になる日々也と同じ席について同じ料理を口にしている。
いいのか、と思う。
よくわからないが、目的があってつれてこられたのだろう、自分は。
「なにかいいにおいがするね」
ふいに日々也がいって、身を乗り出してきた。
客間の次の間に用意された食卓だ。
私的につかうものなのだろう、さして大きくないそれは、もうすこしつっこめば、鼻先を首筋に突っ込むのではないかと思われるほどに、顔がちかい。
「しらねぇ…。何か油ぬられたぞ」
「あぶら?」
「風呂、はいっていいっつーから、入ったら、あの女中頭が…」
「ああ、香油か。道理で」
旅の間に薄汚れた服も体も、この数日できれいさっぱり磨き上げられていた。
何か磨くほど輝くデリックの容姿に、女中頭の闘志がいたく刺激されたらしい。
たのまずとも身の回りが磨かれていく。
日々也はつい、とデリックの頬を下から上に、人差し指でなぞった。
すいつくような弾力が指を押し返す。
「香油はね、肌の乾燥をふせぐのさ。もうそろそろここの冬が近い。乾燥の季節だからね」
「女じゃねぇんだぞ」
「知ってるよ」
俺もぬられる、と日々也はいってのけて、目を細めた。
「あまい。薔薇の香りがする」
「そうか」
「おまえによく合ってるね」
「……」
はたして薔薇の香りが似合うといわれて、よろこぶ男がいるのだろうか。
すくなくとも悪口ではなかろうとおもいつつも、デリックは奇妙な顔で口をつぐんだ。
(どうもこいつ、会話のこう…リズムがおかしいよな)
内容が、果てしなくずれている気がする。
「デリック?」
「あ、ああ…」
デリックは首を振った。
話題を変えよう。
「それで」
「うん」
「どうすんだよ」
「なにが」
「…このまま、俺のこと臨也みたいに飼うつもりでつれてきたわけじゃねぇんだろ」
日々也は、水のはいったグラスをおいて、上目でデリックを見た。

「…そうだね。丁度いい。デザートの前に、ちょっとおいで」







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