アレから1年とひと月。

(あれって、実は弟をとられたくないサイケの陰謀だったんじゃ…)
臨也は自分のPC内を見るたびに、心の隅にその疑問を浮上させる。
PCの中からは、何の物音もしない。
なぜなら臨也は特に会話が必要な回線だけをつなぎ、あとはミュートにしているからだ。
そうでなくては、煩くて仕事にならない。
だが、

「ひぃーびぃーやぁーっ!」

真っ赤な顔で一方を睨みつけているデリックの咆哮は、まるでどこかの誰かのようだ。
そして、その視線を一身にうけとめて、何かのファイルの上に腰掛け、心底楽しそうな笑い声をあげるその『子供』も。
「デリックったら何を怒ってるのかなぁ?ほっぺたに筋肉ってかいたこと?お気に入りのスーツをショッキングピンクにしてあげたこと?それとも箪笥の中の下着をぜぇんぶ女物にしたこと?」
「ぜんぶにきまってんだろうが!日々也ァ!降りて来いッ」
「オシオキされるのわかってて降りるわけないでしょ。デリックってば本当におばかさんだねぇ!」
いやみったらしいその口調。
釣りあがった口元に、馬鹿にしきった眼差し。
どこかの誰かのようだ、という思いを臨也はナチュラルに投げ捨てた。
だって自分はもっと可愛らしいガキだった。
少なくともあんな、デリックに構われて嬉しくてたまらないという表現を『殺意が湧くほど小憎たらしく鼻を鳴らす』なんてことで表現するほど歪んでもなかった。

(俺なら、もっと上手く隠すよ)

と考えて、日々也に対する苦手意識は外見が小学生ほどのガキであること以外に、自分の顔で王冠に黄金のマント姿という少女マンガを履き違えた代物であるせいだと、無理やり結論付けた。
丁度仕事のために回線を繋いでいたサイケが、妙に大人ぶった呆れ顔で「またやってるの、あの2人」といった。
「日々也もまあ、よくあきもせずデリックにあれだけ悪戯を仕掛けられるよね」
「それも妙に陰険って言うか陰湿っていうか。デリックの怒りを綺麗にくすぐるところは、素直に感心するよ」
「ちょっと臨也君が素直とかやめてよね。気持ち悪い。っていうか臨也君がいうなって感じだよね!」
「サイケ、おまえそこの資料片付け終わるまで今日帰っちゃダメだからね」
サイケが凄まじい不満の声を上げる。
その間きっちり回線を遮断して音をたった臨也は、落ち着いたころあいを見計らって再び回線を繋げた。
サイケは、一通り不満をいいつくすと、再びデリックたちに話題を戻したらしい。
「それにしてもさぁ…デリちゃんあいつの世話で最近やつれた気がするんだけど。やっぱり可哀相じゃない、仕事の合間に子育てなんて」
「お前が言い出したことだろ?日々也を『超絶小生意気な天使っていうか悪魔みたいな子供にしよう』って言い出したのはさ」
そう。一年一ヶ月前のあの日、サイケはそれこそ愛されるなどという生ぬるいことのないほど『悪魔的に生意気』で、まっとうな恋愛対象にならない『子供』な、少女マンガの三大障害の一つである『年の差』を取り入れた、デリックだけの王子様を作ろうと言い出した。
最初はどうかと思っていた臨也たちも最終的にその案に乗って、結果、日々也は一年前の誕生日、デリックの前に現れた。

――悪魔が出たのかと思った。

誕生日から一月後、デリックが津軽にもらした日々也との出会いの感想である。
臨也とて、デリックに出会ったときのあの、日々也の衝撃を受けたような顔、それからすぐに立ち直った時の『にたぁ』とも『にやぁ』ともつかない、恐ろしげな悪魔の笑みを、忘れたことはない。

『お前が僕の運命の相手?――そう、どうぞよろしく』

とても毛の生え揃わないガキの台詞とは思えないほど、はるか上からの物言いだったと記憶している。
臨也はため息をついた。
「まあ、でも結果的に悪い方には進んでないとは思うけどね。いいほうに進んでるかは別として」
「そうだけどさぁ…」
サイケは納得のいかない様子でデリックたちのいるほうをファイルの中からみつめた。
そこには、鬱屈とした悩みからは一切解放され、日々也をいかに全うに成長させるかに心血を注ぐデリックの姿と、そんなデリックの関心を独り占めにする日々也の姿がある。
その姿は、年の離れた兄と弟とも、教師と小学生ともとれる、悲しい現実がある。
「ぐちゃぐちゃと悩みはしなくなったが、この前飲んだとき、どうすれば子供に心を開いてもらえるかわからない、と父子家庭の父親みたいなことを言っていたぞ、あいつ」
ふいに声が聞こえて、サイケが嬉しそうに振り返る。
津軽がサイケの仕事場に入ってきたのだ。
抱きついてきたサイケの頭を片手でなでてやりながら、津軽は煙管の煙をふーっとはいた。
「まあ、健全ではあるな」
しかし、一通り津軽に懐いたサイケは、やはり納得がいかないように臨也をみあげた。
「でも、日々也はデリちゃんの運命の恋人にならいとだめなのに…あれじゃデリちゃん、まるで子持ちの父親だよ。あのまま日々也が他にいい人見つけて結婚しても『あいつも大きくなったなぁ』なんて充実した人生あゆんだおじいちゃんみたいになっちゃうよ」
「うーん…。手っ取り早く、急がば回れの精神で、恋愛になる過程を歩ませようとしたんだけど。軌道修正が必要かなぁ」
臨也が応じて、唸った時である。
凄まじい轟音がPC内に響き渡る。
ぎょっとしてみれば、デリックがそこらへんから引っこ抜いたらしい標識を、日々也に向けて投げつけたところだった。
もちろん加減もしているし、日々也自身を狙ったものではなく、彼を捕まえるための措置だったのだが、驚いた日々也がなんとその拍子に自分のマントを踏んですっころんだ。

「あ」

サイケが思わず声を上げる程度には、間抜けな光景だ。
見事な顔面スライディングをみせ、ぺしゃ、とつぶれた日々也は、それをみて慌てて近づいてきたデリックを驚いたまま見上げた。
「大丈夫か?」
と差し出された手を見て、漸くわが身に起こったことを悟り、みるみるうちに顔を真っ赤に染めた。
明らかにプライドを傷つけられた様子で、デリックの手を叩いて拒んだ。

「触るな!」

その勢いに、デリックが驚いたように身を引いた。
日々也は自分で立ち上がると、憎んでいるのかと思うほどぎらぎらとした目でデリックをにらんだ。
よりにもよってデリックに、無様な姿を見られて、心配までされた。
傷ついたちいさい自尊心が、過剰に反応する。
驚いているデリックに、日々也は一向に気づく様子も見せずに言い立てた。
「何考えてるんだよっ!死んじゃったらどうすんのさ、化け物みたいな力があるんだから、もっと考えてうごきなよ!」
びく、とデリックの体が固まった。
サイケが息を呑んで、目を瞠ったまま低い唸り声を上げる。
「あいつ…!」
多分、サイケの行動はひと拍子間に合わなかった。
日々也が、勢いのままはき捨てた。
「そんなだからお前の周りに誰もいなくなるんだ!」
ぴしり、と空気の凍る音がした。
実際凍りついたのは、デリックだったのか日々也だったのか、とにかく一呼吸分、だれも動かなかった。
うずたかい日々也のプライドが、相手を貶める事でとった防衛策は最悪の形で日々也の口から転げ出たのだ。
日々也もデリックも、お互いに目の前で勝手に事が起こった顔で驚いていた。

初めに動いたのは、デリックの瞳だった。
ゆっくりと瞬きを繰り返し、そして、ほんの一瞬だけ、ピンク色の目がゆらめいた。
日々也が、焦ったように何かを言おうとして、失敗した。
「デリ…っ」
「悪い」
かぶさるようにデリックが呟いた。
「…そのとおりだ。ちょっと怒りすぎて目がくらんだ。頭冷やしてくるな」
デリックは、微笑んだ。
日々也が、絶句しているうちに、デリックの姿は現れた電子の狭間に消える。


***


「刺すか、絞めるか、ねじ切るか、どれがいいかな?ねえ津軽」
「とりあえず落ち着け」
どす黒いオーラを背中にしょったサイケを、津軽がなだめる。
視線の先で日々也はこうべを垂れてうずくまっていた。
子供の周りではタバコをやめる津軽は、ため息をついて煙管を懐にしまった。
子供の側により、覗き込む。

「大丈夫か?」
「……」
「口がなくなったのか?」
「……なくなればいいとは思うよ」

ならばなくしてやろうといわんばかりに、サイケが後ろで腕を鳴らした。
それを目で『待て』と制した津軽は、覗き込んだ日々也の顔が思いのほか子供のように歪んでいないのに気がついて目を瞬く。
気づいた日々也が横目でいう。
「…なに?」
「泣いているかと思った」
「あの人が泣かないのに、なんで俺が泣くの。死んでもごめんだ」
あのひと、など、本人が居たら絶対にしない呼び方を、子供特有の柔らかな唇がつむぐ。
「…泣けばいいのに」
日々也の声が苦々しく言う。
その瞬間、津軽はこの子供にちょっと同情した。
多分それは、精神的な自傷がだいすきなデリックに、悩まされた事のある人間しか出せない台詞だからだ。
ふうん、と津軽はいう。
「おまえ、見た目ほど子供じゃないんだな」
「…あんなの相手にしてたら、子供でばかりいられないよ」
日々也は冷たく言い放つ。
憎んでいるのかと思うほど淡々とはき捨てる様に、逆に押さえ込んだ苛立ちやもどかしさを感じ取って、津軽はため息をつく。
なるほど、この子供を相手に、デリックもみていたほどには大人であったわけではないのだ。

しかし、
「……!?」
ごす、と日々也の後頭部をふみつけた足は、寸分の容赦もなく日々也を地面に這い蹲らせた。
言うまでもない。
サイケである。
「……なにほざいてんのこのガキ」
高校生が小学生を苛めているようにしか見えないのだが、それは多分言ってはいけないのだろう。
津軽は口をつぐんだ。
一方、踏みつけにされた日々也は、後頭部をかばいながら後ろを振り返り、ぎょっとした。
阿修羅のごときサイケの目に遭遇したからだ。
ブラコンの称号を燦然と胸に抱くサイケには、愛する弟を傷つけた相手に気遣いをさしはさむ隙間を持たない。
子供もへったくれもなかった。
「デリックを傷つけたくせに何自分が傷ついた面してんの?このままにするなら俺、絶対許さないからね」
「なに…」
「デリちゃんが君のことどんな風に扱ってて日々也がどんな風に傷ついてきたかとか、俺はそんなの心底どうでもいいから」
いっそ清々しいほどにサイケは言う。

「あやまって」
「な…」
「知らないの?ひどいこといって、それを後悔してたら、その人は謝らなくちゃダメなんだよ」

当然の道理を説く声に、日々也はぐっと唇を噛んだ。
「謝ってどうしろっていうのさ」
はき捨てて、歪んだ顔で笑った。
「デリックは間違いなく許してくれるだろうね。でも俺になんにもいわないで、俺に触っていいのかとか、どれほど距離保って接すればいいのかとか、バカみたいなことをもんもんと悩むんだ。バカみたいに一人で!」
サイケは心底うざそうに舌を打った。
「それが君のやったことの結果ならしょうがないじゃん!」
「冗談じゃないそんなの絶対ごめんだ!」
日々也とサイケは、牙を向き合う猫のように、顔をつき合わせて怒鳴りあった。
「今いくら謝ったってデリックは結局一人で抱え込むんだ!俺が居るのに、俺が目の前に居るのに!そんな屈辱ってある?俺が必死で謝ろうが変わらないなら、言いたくない、口なんていらない!」
「そーゆーところが子供なんじゃん!デリちゃんはちっちゃいこは守ってあげるやさしいこなの!無理に背伸びして結局デリちゃん傷つけて、そういうのほんまつてんとーっていうんだよ!」
「俺は、あの人の王子様になるんだ!守ってもらうのなんか絶対絶対いやだ!」
「悪戯しかできないくせに何が王子様なわけ?」
鼻で笑われて、日々也はぎらぎら光る目でサイケを睨んだ。
今までために溜めていた焦りやじれったさや怒りやら、様々なものが噴出す。
「うるさいな!子供の姿でできる俺の精一杯だよ!」
「そんなこといいながら、ちゃっかりデリックの前では『僕』とかいってさ。結局子供なこと利用してるじゃん!」
「俺の体がもっと大人だったら、そんな面倒な事しないよ!抱きしめてなだめてすかして、悩む暇なんかないくらいに大事にして甘やかして、疑問に思う間もないくらい俺のにしてるよ!」
「ちょっとなに俺のって!大人だったらデリちゃんに何する気さ!」
お兄ちゃんは許しませんからね!ときりきり目を吊り上げたサイケの頭に、煙管がぽこんとのっかる。
「つがる!」
「そのくらいにしておけ、サイケ」
「だって、ここはかなりはっきりさせとかなきゃいけないところだよ!」
俺のデリちゃんにミジンコ蟲が!とわめくサイケを津軽がなだめる。
その横で、力尽きたように日々也がこうべを垂れた。

「……もういやだ俺なんでこんな子供なんだろう」
「……」

まさかサイケが超絶性悪な子供にしよう、といったからとは答えられずに(言えば恐らく血の雨が降る)、津軽はあらぶるサイケの頭を抱えなでながら、どうフォローしてやるべきか、と首をひねった。
そのときだ。

「なるほど?大人ならば上手くいくと、君は思うわけだね」

いやに楽しそうな臨也の声がわりこんできた。
げ、といやそうな顔をしたのはサイケで、また何をたくらんでいるんだと顔をしかめたのは津軽、日々也はころんだ子供のような顔で、臨也を見上げた。
臨也が、満面に最高に嫌な感じのする笑みをうかべた。

「ならこの俺が、君の魔法使いをかって出ようじゃないか」







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